飛行機の発明に貢献した偉人たち

歴史
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19世紀以前にも気球など、様々な方法で空を飛ぶ試みが行われましたが、ここではグライダーから動力飛行機の発明に貢献した主な人物たちをまとめました。

黎明期

ジョージ・ケイリー

ジョージ・ケイリーはイギリスの工学者で英国では航空学の父とも呼ばれている。航空工学の初期研究を行うとともに有人グライダーを初めて作り、1849年に少年を載せて飛行を成功させた人物。

ジョージ・ケイリー

オットー・リリエンタール

ジョージが考案した図をもとにオットー・リリエンタールというユダヤ系ドイツ人技師がグライダーを製作し、数々の実験を行った。このグライダーの制御は操縦者の体重移動のみで行われた。このため強い風が吹くとたちまち制御不能に陥った。これが原因でオットーは1896年に実験中事故死する。

オットー・リリエンタール

オットーが発行した著書(Birdflight as the Basis of Aviation 航空技術の基礎としての鳥の飛行)は自然観察から図解、彼が行った23年間もの詳細な実験データと写真が収められており、ライト兄弟に多大な影響を与えた。

動力付き飛行機の完成

ライト兄弟

ライト兄弟はアメリカ合衆国出身の自転車屋兼発明家。牧師の家庭に生まれ、母親は結核で早くに亡くなっており決して裕福とは言えなかった。高校を自主中退し自転車屋を営んでいたがやがて動力付き飛行機の発明者となる。

ライト兄弟より先にエンジンを飛行機に載せて飛ばした者は何人かいるが、ライト兄弟の最大の偉業は三次元制御できる航空機を作ったことである。

ライト兄弟

主翼を捻じることでロール、エレベーターを上下させることでピッチ制御、ラダーを左右に動かすことによってヨー。これによって空中で完全に制御できる機体を作り上げた。

ライト兄弟はオットーの実験データを元にグライダーを作り何千回もの実験をもとに更に揚力が得られるよう改良。飛行を成功させるには軽量な10馬力のガソリンエンジンが必要とわかったが市場に出回っていなかったため、4シリンダエンジンに水冷ラジエーターを搭載したエンジンを機械工の助けを得て自作した。このエンジンのクランクケースは当時では珍しくアルミニウム合金を用いて制作された。

1903年にライトフライヤー号が完成、飛行を成功させた。

現代の航空機は形こそ多種多様だが主要な要素はライト兄弟のときから変わっていない。ライト兄弟は飛行機を完成させたのだ。

特許をめぐる争い

1908年にグレン・カーチスが自作の飛行機「ジューン・バグ」の初飛行を成功させる。ライト兄弟はこれよりも5年早い1903年にライトフライヤー号の初飛行を成功させたが、広く公表しなかったことで動力飛行機の発明者として公的に認識されず、グレン・カーチスとの特許争いに発展してしまう。

グレン・カーチス

※余談だがグレン・カーチスは1917年に初めて空飛ぶ車を作ろうとしたことでも有名な人物だ。機体後部に4枚羽のプロペラを搭載しており離陸はしたものの飛行はできなかった。さらに飛行機のエルロン(補助翼)を開発した人物でもあり、様々な発明をしている。

さらにライト兄弟は先に飛行機を飛ばしていたにもかかわらず失敗に終わった師匠のサミュエル・ラングレーの半ば私怨に振り回されることになる。

サミュエル・ラングレー

最終的にグレンとの裁判はライトが勝者であると認められ、全米で生産される動力付きの飛行機に20%もの多額なロイアルティ(特許料)を課すことが許可される。ライトは取得した多数の特許を武器に他の飛行機メーカーに圧力をかけ、グレンにも飛行機の製造を許可しなかった。このため米国の航空産業はドイツなどと比べ大きく遅れを取ることになる。

後に第一次世界大戦は始まり、米国が参戦するにあたって米政府は特許料の大幅減額を決定する。わずか1%まで引き下げられた。またグレンの飛行機製造を許可した。これにより米国の航空機は飛躍的に進化し、米軍のお得意様になったグレン・カーチスは米国最大手の航空機製造メーカーへと上り詰める。

第一次世界大戦の北米傑作機「カーチス JN4 ”ジェニー”」

一方、ライト兄弟は兄のウェルバーが1912年に他界し、幾多もの裁判で心身ともに疲弊した弟オービルは新たな発明・技術を生み出すことができず、航空産業からひっそりと姿を消すことになる。

アルベルト・サントス・デュモン

ヨーロッパでは1906年に飛行を成功させたアルベルト・サントス・デュモンが飛行機の発明者とされていた。

サントスはブラジル出身の発明家。成人してまもなくフランスに渡たり飛行船や航空機の開発に携わった。ライト兄弟の発明よりも3年遅れることになるが、前述した通りライト兄弟は初飛行を多くの人に公開しなかったため一般に認知されておらず、欧州では人類初の飛行として大々的に報じられる。

アルベルト・サントス・デュモン

初飛行に成功した 14-bis の復元機

サントスは設計図面などを公開し特許料を取らなかった。このためヨーロッパでは航空機産業がめざましく発展することとなる。

おまけ 日本の動力付き飛行機開発

二宮忠八

二宮忠八は日本の航空機研究者、実業家であった。1891年に日本で初めてゴム動力でのプロペラ飛行実験を成功させた人物。従軍中にカラスが羽ばたかずに滑空する姿から着想を得て制作されたそれ(カラス型模型飛行器)は、約10メートルを飛行した。後に後継機である玉虫型飛行器を制作し有人飛行を計画したが資金不足で開発が思うように行かず、1906年にライト兄弟の初飛行が日本で報じられ断念。

1991年にこの玉虫型飛行器が動力を載せて復元されたRC機が飛行に成功している。

昨今ではライト兄弟よりも先に有人飛行を着想した人物としてメディアで紹介されることがある。

しかし、二宮がカラス型模型飛行器を作る20年前の1871年にフランスですでにアルフォンス・ペノーがゴム動力の模型飛行機を制作している。

さらに二宮は有人動力飛行機の実機を製作していたが完成に至っておらず空を飛んでいない。実機を飛ばすだけならばライト兄弟以前にも多くの人が有人動力飛行を試みている。このためメディアで言われているような評価には疑義があるようだ。

日本の有人動力付き飛行機初飛行

日本においては1910年に日本陸軍が兵器としての有用性に着眼し、ドイツとフランスからそれぞれ複葉機を購入。東京・代々木にて国内初の動力付き飛行機の飛行が行われた。

終わり

Image by cocoparisienne from Pixabay

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