イーロン・マスクがいかにしてテスラを乗っ取ったか

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世界をリードする米国の電気自動車メーカー、テスラ。実はその顔である「イーロン・マスク」は実際にテスラ社を創った人物ではありません。法律上は創業者と名乗ることを認められていますが、発起人となったのは2人の技術者です。

2人の創業者

テスラ社を設立した二人のエンジニアとは「マーティン・エバーハード」と「マーク・ターペニング」です。

エバーハードはコンピューターサイエンスに長けるエンジニアであり、ターペニングは機械工学のエンジニアでした。2人が出会う前までは、エバーハードは後に世界最大級のコンピューターテクノロジー企業 DELL に吸収される「WYSE テクノロジー」というコンピューターの仮想化技術を提供する企業に務めており、ターペニングは軍事産業や輸送産業などに製品を提供している「TEXTRON」で製品開発を行っていました。

エバーハードとターペニングはカードゲーム、マジック・ザ・ギャザリングを通じて知り合い意気投合、1997年に「NuvoMedia」という電子出版会社を設立し、電子書籍リーダー「Rocket eBook」を開発、1998年に販売しました。Kindle が 2007年、 iPad は 2010年に発売されていることを考えればいかに先見性があったのかわかります。

この電子書籍リーダーは約10冊しか電子書籍を保存することができず、書籍の電子化自体が少なかったため、広く普及することはありませんでしたが、2万台の販売に成功し2000年にTVガイド企業「Gemstar-TV Guide International」にNuvoMediaを1億8700万ドルで売却しました。

この電子リーダーの開発で培ったリチウムイオン電池の知識と経験がのちの電気自動車開発につながります。

テスラ創業

エバーハードとターペニングは NuvoMedia を売却した資金で電気自転車(EV)を開発したいと考えていました。2人は石油依存の社会と地球温暖化への懸念からEVが解決策の一つになると考えていました。

彼らのビジョンは当時としては珍しく、高性能で”スタイリッシュ”な高級スポーツEVの開発を目指していました。そして最終的にはその利益で低価格なファミリーセダンEVを作るというものでした。

2003年1月にターペニングは妻とディズニーランドに行った際、トゥモローランド・エリアで「ニコラ・テスラ」という名前にピンときて商標獲得に動きます。テスラは米国の電気技師兼発明家であり、交流電気方式の発明者として知られ、無線技術なども発明しましたがアイディアを盗まれ、不遇な晩年を過ごしたことでも有名です。

同年7月1日にカリフォルニア州で「テスラモーターズ」を設立。エバーハードは CEO(最高経営責任者)に、ターペニングは CFO(最高財務責任者)に就任します。

BUSINSS INSIDER「Here’s The Untold Story Of How Tesla Motors Got Its Name」

エバーハードは同カリフォルニア内でEVスポーツカーのプロトタイプ「tzero(ティーゼロ)」という車両が開発中だと知り、開発を行っている「AV Propulsion(エーヴィー・プロパルション)社」のアラン・コッコーニの元を訪れます。この際、エバーハードがリチウムイオン電池についての知識が豊富であることを認められ開発に参加することになります。エバーハードは蓄電システムを旧来の鉛蓄電池からノートパソコンなどに広く使われだしたリチウムイオン電池への転換の技術的支援を行い、少額ではあったものの出資を行いました。リチウムイオン電池の搭載は軽量化に貢献し、tzero は飛躍的に走行距離が伸びました。

同年9月にエバーハードはロサンゼルスの国際モーターショーでロータス社のブースに足を運び、同社のロータス・エリーゼをEV化したいという提案をしました。ロータス社は大層このアイディアを気に入ったようで、本社がある英国へ招待されます。

エバーハードはコッコーニにこの開発計画を持ちかけますが、彼は eBox というトヨタ サイオン xB(日本ではトヨタbB)をベースに量産車を作るという別の計画を練っていたため断られることになります。

代わりにエバーハードは tzero を貸し出してもらえることになり、これを使ってロータス社の社員をカリフォルニアに招いて試乗会とデモンストレーションを行いました。その甲斐もあって資金さえ調達できれば、パーツの供給から技術的支援までロータスの全面的な協力を行うという約束を取り付けることができました。

Charged EV’s「Tom Gage on ZEV mandates, Tesla’s early days, BMW’s EV commitment and V2G tech」

イーロン・マスク登場

一方、南アフリカ出身の投資家「イーロン・マスク」は保有していた PayPal 株を eBay に売却して得た莫大な資金(約15億ドル)を保有していました。これを元手に航空宇宙メーカー「SpaceX」を設立しましたが、それでもなお資金がダブついていたのでサイドプロジェクトを探していました。

マスクは「J.B.ストラウベル」と出会い、その会話の中で電気自動車の将来性に興味を持ち始めます。ストラウベルはスタンフォード大卒の機械工学エンジニアでリチウムイオン電池に詳しく自身も電動飛行機の研究をしていました。

ストラウベルは AV Propulsion をマスクに紹介し、tzero をいたく気に入りましたが、量産化する気がないと聞き落胆します。またマスクはスポーツEVがほしかったので eBox 計画に興味を示しませんでした。

そこで AV Propulsion の社員はマスクにエバーハードを紹介しました。

イーロン・マスクがテスラに初めて関わったのは会社設立から7ヶ月後の2004年2月です。開発・生産拠点はなかったものの、殆どの下地が完成した段階でした。マスクはシリーズAの資金調達ラウンドに参加し、総額750万ドルのうち635万ドルもの投資を行いました。この投資により、マスクはテスラの取締役会のメンバーとなり、その後会長に就任しました。エバーハードはストラウベルを CTO (最高技術責任者)として招き入れます。

マスクの影響力拡大と現場にもたらしたカオス

車両の開発の進められていく中、次第にマスクは開発においても介入するようになります。

彼はスペースXを経営する傍ら、数週間に1回ノコノコとロードスターの開発現場にやってきて口出しをしては帰っていくということを繰り返していた、という証言が従業員から寄せられています。また気に入らなかった箇所があれば何度も変更を加えました。

Daily Register「The Making Of Tesla: Invention, Betrayal, And The Birth Of The Roadster」

テスラ・ロードスターは本来、ロータス・エリーゼの部品を多く流用して量産される予定でした。そこに電動パワートレインを搭載、バッテリーはノートパソコン用に規格化されたものを使用することでコストダウンを図る予定でした。しかしながら、マスクの『助言』によりボディがカーボンファイバー製になり、ドアシルを2インチ低くするよう要求され、ドアハンドルを電動化するなど設計の大幅な変更が行われ、開発は大きく遅れることになりました。

Newsweek「Daniel Lyons: Tesla’s Electric Car Loses Its Juice」
BUSINESS INSIDER「The Making Of Tesla: Invention, Betrayal, And The Birth Of The Roadster」

テスラ・ロードスター(画像右)はロータス・エリーゼ(画像左)のアグレッシヴな見た目からかなりトーンダウンされてしまっています。言ってしまえば少し間抜けで未完成に見えます。

さらにウォルター・アイザックソン著の伝記「イーロン・マスク」やインタビューでマスクの激しい暴言が現場で飛び交い、社員のストレスを高め、効率を低下させたという証言が多数出ています。これにより、才能ある人材が離れていったという指摘もあります。

プロトタイプお披露目イベントに激怒したマスク

約2年後、2006年にようやくテスラ・ロードスターのプロトタイプが完成。高パフォーマンス、スタイリッシュでありながら1回のチャージで 320km を超える走行距離を実現した当時としては画期的なEVでした。CEOのエバーハードはメディアの前で大々的な公開イベントを行い大きな話題を呼び127台の予約を取り付けました。

しかし、このお披露目に激昂したのがイーロン・マスクでした。彼はテスラのPRチームに以下のようなメールを送りつけました。

The way that my role has been portrayed to date, where I am referred to merely as “an early investor” is outrageous. That would be like calling [Eberhard] being called an “early employee” Apart from me leading the Series A & B and co-leading the Series C, my influence on the car itself runs from the headlights to the styling to the door sill to the trunk, and my strong interest in electric transport predates Tesla by a decade….the media is difficult to control…
However, we need to make a serious effort to correct this misconception.

これまで私の役割が『初期の投資家』としか言及されていないのは、まったくもって馬鹿げている。それはまるで[エバーハード]を『初期の従業員』と呼ぶようなものだ。私はシリーズAとBの資金調達を主導し、シリーズCも共同で主導した。さらに車自体の設計にも深く関与しており、ヘッドライトからスタイリング、ドアシル、トランクに至るまで私の影響がある。EVへの強い関心はテスラより10年も前から持ってる……メディアの報道をコントロールするのは難しいが、この誤解を全力で正さなければならない。

裁判資料 32p
https://climatecasechart.com/wp-content/uploads/case-documents/2016/20160906_docket-12723_complaint.pdf

また後に掲載されたニューヨーク・タイムズの記事を見てさらに不満を漏らしました。


I was incredibly insulted and embarrassed by the NY Times article…where I was not merely unmentioned, but where [Eberhard] is actually referred to as the chairman. If anything like this happens again, please consider the PCGC relationship with Tesla to end immediately upon publication of such a piece. Please ensure that the NYT publishes a correction as soon as possible.

ニューヨーク・タイムズの記事には、非常に侮辱され、恥ずかしい思いをした……私がまったく言及されなかっただけでなく、[エバーハード]が会長として紹介されていた。このようなことが再び起こるようであれば、PCGCとテスラの関係は即座に終了するだろう。ニューヨーク・タイムズに対し、できるだけ早く訂正記事を掲載するよう対応を願う。

裁判資料 33p

この出来事がマスクのエベレストよりも高い自尊心を刺激しました。エバーハードを追放しようとした決定的な出来事と言えるのでしょう。

エバーハードの屈辱的な解任

量産車両の開発が進められていく中、マスクとエバーハードとの間に意見の衝突が生じます。マスクはエバーハードが開発計画のタイムスケジュールを守っていないことと、企業財政に無頓着だと批判しました。

マスクによれば、ロードスターの製造に使われているパーツの製造地はアジア各国に散らばっており、組み立てはイギリスで行われるためサプライチェーンが非効率であったと指摘しました。マスクの計算によれば部品の調達コストだけで販売価格の2倍以上になっていたと主張しています。

しかし、比較優位にある国から高品質で安価なパーツ調達する、ということは多くの企業で行われていることであり、マスクの計算が正しかったのかどうかは不明です。さらに開発・生産コストが跳ね上がったことと納車が大幅に後ろ倒しになってしまったのは彼が車両の設計に口出ししたため、多くの既存の部品が使えなくなってしまったのが大きな要因の一つです。このことでエバーハードを批判するのはマッチポンプと言わざる得ません。

2007年1月、エバーハードは自分の代わりに新たなCEOを迎え入れたいという旨を役員会に伝えます。このときのエバーハードとマスクのやり取りは友好的なものだったとエバーハードは振り返っています。人材を探す動きが始まりますがエバーハードほど技術に対する理解と経験を持った経営者をすぐに見つけることは困難でした。

8月に事態が急変します。エバーハードが商談のためロサンゼルスを訪問中、マスクから電話を受け CEO を退任させられることを一方的に通達されました。本人不在の中、 CEO の座を下ろされたのです。この時点でエバーハードは取締役会からの正式な通知や議論の機会を持っていなかったと述べています。

マスクはかつて新婚旅行中に Paypal の CEO の座から追放されています。その侮辱的な手口をそのままエバーハードに使いました。この屈辱的な解任は禍根を残し、後に裁判にまで発展します。

その後、半年の間に2回の CEO 交代劇があり様々な混乱が巻き起こります。ここでは割愛しますが、いずれもマスクが大きく関わっており、この過程で大口の投資家がテスラの経営から排除されていきました。2代目CEOのマイケル・マークスはマスクを「クソ野郎」だと評しています。

AERA「イーロン・マスクとスティーブ・ジョブズ「共通の口グセ」がエゲツなくて涙目になる」

エバーハードも会社運営から退かされ、テクニカルアドバイザーになります。2008年1月にはこれも辞任し、ロードスターの発売を眼前に完全にテスラから関係を断ちました。共同創業者のマーク・ターペニングも初代ロードスターの開発において重要な役割を担いましたが同年に辞職しています。

“When I got kicked out of Tesla I had no money―I mean I really had no money,” Eberhard says. “Worse than that, I had no possibility of employment for about a year because of a restrictive intellectual property agreement with Tesla, he says. “I did not participate in any investment rounds after I left.”

「テスラを追い出されたとき私は本当にお金がなかったんだ ― 本当に一文無しだった」とエバーハードは語る。「さらに悪いことにテスラとの知的財産に関する制限的な契約のせいで約1年間はどこにも就職できる見込みがなかった」と彼は言う。「退社後は、どの投資ラウンドにも参加していない」。

フォーブス「Tesla Had 5 Founders. Why Did Only Two Get Really Rich?

初代テスラ・ロードスターの納車が始まったのはこのわずか1ヶ月後の2月です。

マスクはエバーハードのCEO解任後、わずか半年間で車体の再設計や主要部品のサプライチェーン再構築を行った語っていますが、あまりに非現実的と言えるでしょう。

10月になりマスク自身が CEO に就任します。

訴訟

2009年6月、エバーハードはイーロン・マスクおよびテスラに対して名誉毀損、契約違反、虚偽の主張など11件の訴訟を起こしました。訴訟の中でエバーハードはマスクが自らをテスラの創業者と主張し、彼を解任したことを問題視しています。実際、マスクは他の創業者たちがテスラを去った後、頻繁に自分が創業者であると吹聴して回っていました。

訴訟の内容には以下の項目が含まれています。

  • 名誉毀損(Libel)
  • 侮辱(Slander)
  • 差止命令(Injunctive Relief)
  • 契約違反(Breach of Contract)
  • 契約履行の具体的実行(Specific Performance of Contract)
  • 宣言的救済(Declaratory Relief)
  • 未払い賃金の支払い失敗(Failure to Pay Due and Earned Wages)
  • 賃金未払いに対する罰金(Penalties for Failure to Pay Wages)
  • 法的賃金明細の不提供(Failure to Provide Lawful Wage Statements)
  • 資産の不正流用(Conversion)
  • 過失(Negligence)

また、エバーハードに贈呈される予定であった車両がテスト車として使われ、大破してしまいました。このことも訴訟に至った大きなきっかけと言われています。

2009年8月、エバーハードは訴訟を取り下げました。9月テスラはエバーハードとマスクとの間で和解が成立したことを発表しました。和解の詳細は明らかにされていませんが、両者は「テスラの成功と電気自動車の未来に焦点を当てる」との声明を出しました。

UNILAD TECH「People just discovering Elon Musk was not the original founder of Tesla but won title after ‘bitter’ legal battle」

誤解が広まった原因

ここまで読んでいただければわかる通り、会社創業から車両の開発開始までの間、マスクのテスラへの関わりは少なく、創業者と呼ぶのはかなり強引でしょう。

なぜマスクはテスラを創ったという誤解が広まってしまったのでしょうか?それには3つ理由があります。

1つ目は知名度です。マスクはマスメディアへの露出とSNSで絶大な影響力があります。更にスペースXの話題性も高かったことから、マスメディアからは世紀の発明家として祭り上げられ、アイアンマンのトニー・スタークのように扱うこともしばしばでした。

2つ目にはマスクが法的に『創業者』であると先の裁判の中で勝ち取ったことにあります。和解の中で「マーティン・エバーハード」「マーク・ターペニング」「JB・ストラウベル」「イアン・ライト」そして「イーロン・マスク」が「Co-Founder(創業者)」と名乗ることができる、としています。ちなみにイアン・ライトは機械工学エンジニアで投資を呼び込むのに大きな役割を果たしましたが、テスラが成功するとは思わず、2004年に早々と退任しています。

最後の一つはやはり、マスクが初代テスラ・ロードスターの量産を前に創業者二人を追い出したことにあります。このことにより、マスクという声がデカい『創業者』が残ることになったため、本当にテスラ社を作った二人は忘れ去られてしまいました。実質テスラ社の歴史から消されたと言っても良いでしょう。

マスクの異常な「創業者」へのこだわり

マスクは『創業者』という肩書に異常なこだわりを持っています。

下記の動画の中でイーロン・マスクはマーティン・エバーハードに出会わなければ自分でテスラをつくっていた、とさえ言い切っています。ですが彼は機械工学や電子工学、ひいてはリチウムイオン電池について素人であったため、一からコンセプトを練り上げ、実際に開発現場に参加していたエバーハードの代わりをするのは難しかったでしょう。

さらにエバーハードのことを「これまで一緒に仕事した中で最悪な人間」だとこき下ろしています。

テスラという社名もターペニングが命名したという事実について伏せています。2人の創業者に対して微塵もリスペクトがなく、テスラが成功したのはすべて自分の功績のように語っています。

マスクは様々な有力なスタートアップ事業に唾を付けて回っては自分が初期に投資したのだから自分が創業者だ、という屁理屈を吹聴して回っています。その中でも OpenAI が最も成功したスタートアップと言え、マスクも初期の投資者の一人ではありましたが、約束していた資金の十分の一しか出資しませんでした。マスクがやったことと言えば研究員を罵倒して開発を急かしたことくらいです。

東洋経済「イーロン・マスクがOpenAIを「キレて去った」内幕」

後に ChatGPT があらゆる新聞の一面を飾るようになりはじめたら 「OpenAI が存在しているのは自分のおかげ」と主張しました。

Decrypt 「Elon Musk Takes Credit for OpenAI: ‘It Wouldn’t Exist Without Me’」

マスクの OpenAI への嫉妬と執着は凄まじく、米議会にはたらきかけて AI を規制する法案を通したり、提訴したり、買収を試みています。

最後に

マスクはテスラが軌道に乗るまで多くの資金を提供しました。初期の資金集めにテスラがあまり苦労しなかったのは彼のお陰であったのは確かです。また政治家とコネクションがあったため米政府機関に取り入って様々な優遇措置、免税措置を引き出したのも彼の成果ではあります。

ですが、すべてを自分の手中に収めないと気がすまない、という彼の特殊なパーソナリティが多くの人を不幸にしています。テスラ工場内では事故が頻発し、パワハラや人種差別が横行していることもマスクのマイクロマネジメントと現場に対する過度なプレッシャー、強権的な経営手法が原因であることは容易に推察できます。

イーロン・マスクはエメラルド鉱山を違法所有していた父親とモデルの母親との間に生まれ、大変裕福な家庭で育ちました。そして経営してたネット決済会社が PayPal と合併することでとんでもない大金持ちになりました。また複数のパートナーとの間に少なくとも14人も子どもがいます。こういったかなり特殊な環境に囲まれた人生を送っていることが彼の性格に少なからぬ影響を及ぼしているのかもしれません。

昨今、マスクの政治姿勢と傍若無人な振る舞いが企業イメージを失墜させ、テスラの株価だけでなく販売台数が急落しています。彼の最後の敵となるのは自身のエゴなのでしょう。

おわり

その他参考資料

アイキャッチ画像:Unsplash Priscilla Du Preez 🇨🇦

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